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人工知能に仕事を奪われる前にすべき事は!?無意識のうちに選択肢を与えられる日本社会には恐怖がある

dartmaniaです。

与えられた事しかやらない、出来ない。そんな言葉を聞いた事があります。

そんな日本は規則や正解に捕われすぎていると思います。

そもそもなんで言われた事しか出来ない人がいるのでしょうか。

なんで言われた事をやらなきゃいけないんでしょうか。噛み付きたい訳じゃありません。

言われた事くらいやって欲しいは視野を狭める

学生ならバイト先、仕事なら上司に最低限の事はやってくれと言われる場面にたびたび遭遇します。

僕が言いたいのは、レストランでお客さんが帰る時には「ありがとうございました」を言ってねとかバイト先にきたら挨拶をしてねとか、パソコンで毎日勤怠管理してねとか、そういう基本の事ではありません。

資料をこの方法で作ってくれとか、お客さんからクレーム来たらこういう対応をしてくれとか所謂アレンジ出来るがテンプレが用意されているものについてです。

日本人は間違いや失敗が恐くて怒られない様に、逆に褒められる様に、その人の気に入る様な行動を取る傾向にあります。

だからテンプレの正解のみしかしません

親や学校の先生、大学の教授、先輩、バイト先の上司、仕事の上司等。常に周りの様子を見ています。

言われた事をやれば評価が上がる、いい子に見える、だから相手に合わせる。

そういう行動が最近凄く恐い。

義務教育で選択肢を与えられる恐怖

よく見られたいから相手が気に入る様な事をする。一見良さそうな事にも聞こえますが、これは正解を一つに決めてしまう事でもあります。

思い出してみて下さい。義務教育では、5教科が主な教科ですが、どれも選択肢があり答えが一つに決まります。

数学なら適切な解き方をすれば一つに決まります。

国語だって同じです。授業では、生徒が読んで先生がそれに対して主人公はこんな事考えてるるんだよなぜなら〜みたいな正論っぽい事を言います。

そして定期テストで「この時の心境に最も近い選択肢をA~Dから選びなさい。」と問われます。

そしたら生徒は必ずこの中に答えがあると思い込んでしまいますよね。別にEやFの答えがあっても良いと思うのです。

僕の頃はセンター試験では、「同情し易い感動する小論文に同情したら間違えるよ」と言われました。

別に考えなんて人それぞれなんだからなんだって良いんです。しかし日本の教育で正解を選べば点数が良くなる→褒められる→それが全て

みたいな風潮あると思うんですよ。

これは一つの選択肢が唯一正しい答えであると教え込んでいるようなものです。

1+1はなんで1じゃないの?というエジソンの逸話もある様に答えに疑問を持たないで、それはそういう事なんだ!と暗記に走る人が多い様に感じます。

高度成長期から成熟期への転換

成長期と成熟期は働き方の方向が根本的に違うのかなと思います。

成長期:従来の事をやっていれば成長していく

成熟期:インフラや技術が飽和状態になり新たな価値の創造が必要

成長期の時代は言葉通り成長する余地が多々ありました。道路や発電設備、上下水道、電気等のインフラ設備の拡充やカメラ、パソコン、白物家電等は作り方さえ分かれば量産する設備を作ればある程度それに乗っていれば成功出来ていました。

しかし、今ではインフラ設備はほぼ整っているし、家電の技術的な部分もトップレベルまで来ています。

カメラなんかもガラケー時代から比べてもスマホは普通のカメラと変わらないくらいのキレイな写真が撮れます。

つまり、今までと同じ様な事をしていても頭打ち状態だと思うのです。

努力だけでは報われない

与えられた事の中で頑張って努力するのは一見聞こえが良いですが、技術的な部分がトップレベルまで来ている以上、他の選択肢も考えなければいけません。

例えば、タクシーではUberが有名です。これは暇時間がある人を有効活用する事業者と手軽にアプリから予約出来る消費者とが上手くマッチしていると思います。

しかもクレカで決済するのでタクシーの中で支払いはしません。

正解ではなく擦り合わせ解が求められている

これは、タクシーが足で頑張って稼ぐ事から、利用者と事業者を上手くつなげるサービスにした好例です。

この様な考えはタクシーはこの場所が捕まり易いとか、飲み帰りのこの時間にはここが良いとかそういう正解を求めて利益を得ようと思っている人からは生まれませんよね。

だから今までの正解が唯一の正解ではなく、そこから何かを生み出さないと生き残れない時代な気がします。

下記の本に面白い表現がありました。

ジグソーパズルではなくレゴ的な発想が必要なのではないかと。

言い方は少し変えていますが、ジグソーパズルは必ず一定の場所にピースを埋めなければ完成しません。

つまり、答えが決まっています。

しかしレゴは自分で組み合わせる事で実に様々なパターンを生み出せます。

今求められているのは、レゴの様な既存の物に自分の頭を働かせて今までにないモノ・サービスを作る事なのではないでしょうか。

 

10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための「雇われる力」

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失敗を恐れていたらAIに乗っ取られる

この先、色々な仕事がAIに乗っ取られてしまうと思います。弁護士や医者も例外ではないと思います。例えば弁護士であれば色々な判例や法律を学ぶ必要があります。

それを勉強して一人前になるには相当の時間が必要なはずです。

8時間の睡眠をとる人間よりもAIなら24時間、法律の知識を溜め込めます。学習して最適解を出すのは圧倒的にAIの方が早いです。

これはAIにより生産性が飛躍的に上がる場合に顕著に現れます。つまり、人間が何万時間もかけて勉強しなければ得られない事がAIでは年中無休で情報を取り入れ最適解を提供出来るのです。

タクシーでは、アプリで予約した情報がAIに取り入れられ一番近いタクシーが自動運転で迎えに行き目的地まで送る事もそう遠い未来の話ではないかもしれません。

AIなら一番近くにいるタクシーを割り出し、目的地に付く最短ルートをすぐに探し出せます。

まとめ

まずは答えが一つじゃなく無限にある。新たな解を求めて挑戦し失敗しても良いと言う気概も必要なんじゃないかな〜と思いました。

今までの経験が無駄になるとは言いません。

しかし、人間が生産性をあげるには限界があります。AIに計算で敵うわけがありません。

そういうところで勝負するよりは、どうすれば自分の価値を見いだせるか、AIではなく人間のメリットはどういうところにあるのかと言う事を考えていければAIに仕事も奪われなくなるのではないでしょうか。